東京大学横山研究室

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グループE Diary Day5 (9/6)

東北ツアーも折り返しです。
体力勝負な一日でしたが、天気が良く気持ちのいい汗をかくことができました。

5日目の内容は以下の通り。

津波石の見学
ひころの里でランチ
津波災害の遺構、大川小学校の見学
1. 津波石の見学
1日の始まりは唐桑半島ビジターセンターから。無料の可愛いバッジをもらってスタートです。しばらく歩くと海に面した高台に辿り着きます。13〜14mほどの津波でも、V字型の湾の形によって強化され、その高さは23mに達したといわれています。海抜高度の高い位置でも油断できないのが怖いところです。その後降りていくと、入り江をふさぐ巨石が見えてきます。津波によって岸壁から剥がれ落ちたものもあれば、海底から運ばれてきたものもあります。後者は岩に二枚貝が付着していることから判定できます。班員のジャックは岩を舐めることで(そして観察することで)岩の種類を判定しようとしていました。彼曰く、シルト岩の可能性が高いそうです。バスに戻る途中で、対岸に見える原子力発電所のお話や、チリ地震による津波が到達した話をしていただきました。やはり近くに原発があることには一定の不安があるようですが、新しく建設された防潮堤には肯定的な印象を持っているようです。安全と安心について、地元の声を大事にしていく必要があります。ところでバス乗り場で非常に古い看板を発見しました。御崎観光という今はない会社の看板で、ごみの持ち帰りを促しています。設置されたのは40年も前だそうで、津波に流されずに残っていることが驚きです。防潮堤付近にもかつてはお土産売り場があったそうですが、ディズニーランドなど他の観光地の活性化に伴い観光客が減少し、店を閉じてしまったそうです。

2. ひころの里でランチ
体を動かした後はおいしい食事に限ります。ひころの里は伊達藩郷士須藤家の邸宅を利用した施設です。武士住宅と農民住宅が合体した松笠屋敷と呼ばれる独特の建物の中で朝採れの山菜を使ったお料理をいただきました。お庭は綺麗に手入れされていて、いくつかのイロハモミジが見えました。紅葉のシーズンに再び訪れたいと思う場所でした。

3. 津波災害の遺構、大川小学校の見学
最後は大川小学校へ。小学校を初めて見たときの衝撃は忘れません。
「ここには町がありました 生活がありました いのちがありました 子どもたちが走りまわっていました」
この文章から、ここで何が起こったかを知りました。凍える寒さの中、黒い波に飲まれていった子供たちのことを考えると涙が溢れそうになります。しかし、だからこそ、この悲劇から学ばなければならないこと、改善し未来の命へとつなげていかなければならないことがあります。お話では避難計画や避難ルートの問題、津波に対する認識の甘さが指摘されていました。裏山に登ってみると、学校のグラウンドからは見えなかった川が見えます。5日の堤防の高さに関する議論でも触れられていましたが、川や海にどれだけ近い場所にいるのか、それがわからないというのは非常にクリティカルな問題です。一体どちらに逃げればいいのか、どれほどで津波が到達するのか、地震によるパニック状況下で正常に判断するのは難しいように思います。避難に失敗したにも関わらず、震災遺構として大川小学校が残されていることも注目すべき点です。前日の意思決定体験では遺族の精神的負担軽減のために多くの死者を出した遺構は取り壊すべき、との立場をとっていました。しかし、大川小学校の生存者の一人である佐藤さんのお話から、遺構は初めのうちはつらいこともあるが、段々と、亡くなった人々との時間を思い出すことのできる憩いの場所として存在していることを知りました。当時の町の方針としても取り壊しに傾いていたそうですが、遺族の意向によって保存へと舵を切ったことは、非常に重要な判断だったと考えています。前日におしゃっちで議論した堤防の高さや遺構取り壊しについて、実際に現場を訪れてその意見をもう一度推敲する、そんな体験になったと思います。

               

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