ANU国際研修2月5~6日
2月5日
オーストラリアに来て4日目。この日は戦争と平和について深く考えた一日だった。
朝 9:30 に ANU の寮をバスで出発し、オーストラリア戦争記念館へ向かう。途中 Anzac Pd. を通る。戦争記念館は正面の入り口からまっすぐとこの Anzac Pd. という道が伸びている。その道の先にはバーリー・グリフィン湖を挟んで反対側に国会議事堂がそびえる。国会議事堂からみるとこの道の先にまっすぐ戦争記念館が見えるようになっている。このようにすることで常に戦争の犠牲を忘れないようにしているのだそうだ。Anzac Pd. には赤いグラベルが敷かれていて、これは兵士の血の色を表しているらしい。ANU の学生が教えてくれた。
戦争博物館から見た国会議事堂
国会議事堂から見た戦争記念館
エインズリー 山から見た眺め 手前が戦争記念館、奥が国会議事堂
昨日、Shimona 先生が今日の見学について、日本では平和を祈念した博物館が多いがこの戦争記念館は戦争そのものを展示するというスタイルであり、多少刺激的なものもあるかもしれないとおっしゃていた。戦争記念館につくと、ジョンさんという方に1時間半ほどのガイドツアーをしていただいた。かなりゆっくり話してくれていたがなかなか内容を聞き取れなかったのが非常に残念だった。ガイドツアー 終了後はしばらく自由に館内を見て回ることができた。
やはり日本人であるのでどうしても目が行ってしまうことを差し引いても、日本に関する展示が多い。恥ずかしながら、僕はこのプログラムに参加するまで、第二次世界大戦中に日本がオーストラリアと戦っていたという感覚すらなかった。しかし、オーストラリアの人にとっては第二次世界大戦の敵は主に日本であり、オーストラリアの歴史の非常に大きな一部をなしているのだ。歴史とは視点によって本当に簡単に変化するものである。
午後はキャンパス内の教室でカウラという町についての授業を受けた。この小さな町には対戦中、捕虜収容キャンプがあり、日本兵捕虜も多く収容されていた。戦中その日本兵捕虜の大脱走事件が起こり、多くの人がなくなった。今、カウラには日本人慰霊碑や日本庭園がある。ここは後日訪ねることになっていてそこで詳しく述べられるであろう。授業を行ってくれた先生は当時の日本兵についてのデータベースの作成に尽力された方だった。
歴史は見方によって簡単に変わってしまう。特に戦争なんてそうだ。我々は自分がされたことはよく覚えているが、自分がしたことは忘れがちである。したがって歴史をどう記述しどう教育するかはとても難しい。ここで安易に論じられることではない。しかし、オーストラリアのようにこの戦争について比較的客観的に表現し、敵意ではなくかつての交戦国との友好を願い、平和を願いその記念物を残す(少なくとも僕はそう強く感じた)は一つの理想的な形であるように思った。ガイドツアー の最後にジョンさんが残した「今日は話を聞いてくれてありがとう、今ではオーストラリアと日本は友達なんだ」という言葉が印象的であった。
2月6日
この日は朝バスでバーリーグリフィン湖をわたり国立美術館へ向かう。なんだかんだ池のこちら側へ来るのは初めてだ。10時の開館とともに入館し、今日もガイド付きで部屋を回っていく。主にアボリジニの人々に関する芸術作品の解説を聞く。最も興味深く感じたのは、絵を書くときの視点に関する特徴である。西洋の絵画は、部屋の窓枠から見たような景色が描かれているのに対し、アボリジニの人々の絵は飛んでいる鳥の目から見たような地上の模様が描かれいるのだそうだ。そう言われると確かに飛行機から見たオーストラリアの広大な大地のように見えてきた。円
の模様は行きの飛行機から見たセンターピボット農法の畑を彷彿させた。そのことをガイドさん
に伝えると、円の模様は基本的には水のあるところや、meeting point を表しているのだと教えてくれた。けれど、僕にはやはりあの窓から眺めた畑に見えた。芸術は見る時代、見る人によって捉え方が変わっても良いかもしれない。
美術館を出たところで昼食をとったあと、この日は解散。ガイドツアーで回ったところ以外にも現代アートに関する展示も豊富だそうで、もう少し管内を見たかったがまとまった時間があるのでタクシーに乗って動物園へ。キャンベラの動物園は、一つ一つのおりが広大な上、客がほとんどおらず、大きな鳥が放し飼いにされていたりもして、ジャングルか何かに探検にきたような気分だった。一つのおりというよりちょっとした草原が与えられているようなところすらあった。
アボリジニの人々のアート(左) 飛行機から見えたセンターピボット農法の畑(右)
(National Gallery of Australia)