グループA Diary Day6 (9/7)
◎ 2024年9月7日のアクティビティ
[午前]宮城県岩沼市図書館「ふるさと展示室」→[昼食]旬菜館→[午後]山元町震災遺構中浜小学校
1. [午前]宮城県岩沼市図書館「ふるさと展示室」
2024年9月7日午前中、宮城県岩沼市図書館内の「ふるさと展示室」を訪問しました。この展示室は、岩沼市およびその周辺地域の歴史的・文化的背景を深く理解するための施設であり、特に地域の歴史的遺産や文化財の保存に焦点を当てた展示が特徴です。その中でも、以下の三つの展示物が重要な見どころです。
(1) 高大瀬遺跡剥ぎ取り展示: 岩沼市下野郷字高大瀬にある高大瀬遺跡で発掘された過去約1000年間におきた災害の痕跡がわかる土層が「剥ぎ取り展示」という特殊な保存技法を用いて展示されています。この土層からわかる過去の災害は、新しい順に以下の通りです。
東日本大震災の津波堆積物(2011年)
慶長津波の可能性がある堆積物(1611年)
十和田火山噴火の火山灰(915年頃)
貞観地震津波の可能性がある堆積物(869年)
(2) 松尾芭蕉と『おくのほそ道』: 展示室には、江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉の『奥の細道』に関連する展示が含まれており、彼がこの地域を訪れた際の足跡が記録されています。また、図書館の近くでは『おくのほそ道』の風景地「武隈の松」を鑑賞することができ、松木は失なわれる度に植え継がれており、現在は7代目とのことです。
(3) 「玉崎古墳群」および古墳文化の展示: 岩沼市周辺には、古墳時代の遺跡が数多く存在し、ふるさと展示室ではその中の「玉崎古墳群」に関連する埴輪、土器、装飾品などの出土品が展示されています。
担当者コメント: 災禍・共生・再生?それとも? 「災害」をとらえる多角的な視点
岩沼図書館「ふるさと展示室」の展示品から、この地域は1000年という人間社会にとっては長い時間の中で津波や火山噴火などの「災害」と共に歩んできたことが分かります。また、災害によって失なわれた貴重な歴史・文化資源を惜しむと同時に、災害を経験しながらも現代に至るまで保存・記録されたものがあるという事実も再認識させられます。そして、事象を「禍害である」と定義づけすることの裏に、人間社会を中心とした判断基準が働いていることは明白です。そうした判断基準がいかようなものであるかの実態を探究することで「災害」とされる事象の解釈の幅がひろがり、「防災」や「共生」といったさらなるステップの議論に生かせるのでは、とバスの中で考えていました。
2. [午後]山元町震災遺構中浜小学校
午後は、宮城県山元町震災遺構中浜小学校を訪問しました。中浜小学校は海からほど近く、東日本大震災における津波の被害を直接受けた学校であるが、当時の避難者全員を守り抜いた場所でもあります。学校は2013年に閉校になったが、校舎はそのまま震災遺構として保存され、海と畑に囲まれた静かな環境のなか後世に震災の教訓を伝える場として佇んでいます。けれども、ここも震災以前は街の中心地だったとのこと…
(1) 当事者の語り:中浜小学校での出来事
東日本大震災の発生直後、6メートルの津波到達まで10分(実際津波が到達したのは約1時間後)というアナウンスを受けて、学校関係者は生徒・避難住民と共に中浜小学校に留まり、屋上の屋根裏倉庫(3階)に避難することを決行。2メートル嵩上げされた地面の上に学校が建てられている、体育館が引き波による校舎への衝撃を緩和したなどの様々な要因が組み合わさり、津波は校舎の2階の天井近くまでとどいたものの屋上まで及ばず、避難者全員が生存した。避難する際、屋上に繋がる狭い梯子を子供達を先頭に最後に登ったのは井上校長(当時)、その心情を氏は「のぼったら生き延びて降りるしかない」と語っている。
(2) 語りと対話からみる問いのヒント
今回の研修には、オーストラリア国立大学で地質学や関連専攻を学ぶ学生が多く参加しており、また前日に石巻市震災遺構大川小学校を訪問したこともあり、皆中浜小学校に深い関心を示していました。現地での案内や説明の際に、津波による学校の被害、避難指示の決断について、非常に積極的に質問していたのが印象的でした。そして、飛び交う質問や議論は共通関心——「同じ日、二つの小学校はどうして異なる結果に直面したのか」に集結されるようです。当事者の語りと皆の対話の内容を整理することでみえてくるこの問いのヒントは次のようなものだと考えられます。
共通点: 震災前に予測された津波のハザードマップの位置付けでは、両校のリスクが過小評価されていた。
中浜小学校の結果にある背景:
事前の打ち合わせ
学校の立地・校舎の構造に対する把握
短時間での決断
担当者のコメント:
2011年3月11日、大川小学校に避難した方達が私たちに直接語りかけることはないでしょう。そのため、大川小学校と中浜小学校の比較を通じて「教訓」を学ぶことができても、対話者おらずに「結論」は導き出すことは無理難題であり、残されるのは「問い」ばかりである。