東京大学横山研究室

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グループE DiaryDay6 (9/10)

沿岸沿いをバスで通っていた時に、津波の被害を軽減するためにいかに多くの対策が講じられていたかを感じた。今でこそ、防潮堤には見慣れたが、北部の地域より高さが低いことに気がついた。合意形成の過程がどのようなものであったのかを話し合った。今朝訪れた丘はもともと海を眺めるために作られたのに今では防潮堤のために海が見えなくて悲しく感じた。津波は人命と財産だけではなく文化、伝統、住民同士の関係性など多くのものをあの瓦礫と共に流し去った。新しく作られた避難所が、多くの命を失った元の避難所と同じ高さしかないことには混乱するとともに、東日本大震災と同じ規模に津波に襲われた時、あれだけ悔やんだ3.11と同じ被害が繰り返されるのではないかと思った。

私たちが気づいたもう一つの共通点は、災害の物語は無事全員が避難し終えた時で終わっていることだ。人々と彼らのメンタルヘルスに重きが置かれているのだろうかと考えた。終わりのない瓦礫のたくさんの写真と動画を見たが、それらの撤去作業の際、どこから手をつけて、政府はどのようにその瓦礫を処理したのだろうかと思った。

私たちは2日間で3つの学校を訪れたが、途中また学校へ行くのか、何か違いはあるのかと少し飽きた気分になる学生もいた。しかし実際に訪れてみると私たちが複数の学校を訪れているのには理由があると理解できた。学校は日本では最も耐震化が進んだ構造物で、避難所として指定されていることが多いと知った。というのも、学校は地域住民皆が場所を知っている場所だからだ。なぜ学校は遺構として残されるのだろうかと考えた時、教育の観点から学校は子どもたちにとって身近な場所であり、遺構を訪れた時より現実味をもって震災について捉えられるからだと考えた。そういう意味で、廃校になったもののいまだ教育機関としての役割を果たしていると考えた。自身への問いかけの一つとして、大槌町での例のように、住民の反対があるにもかかわらず学校を遺す理由を考えた。一つの答えとして、学校の生徒全員が生き残ったということは希望と生き抜く力強さを象徴しており、一方で大槌町役場は言葉にならないほどの災害を前に人間は無力だということを象徴していると考えた。

阪神・淡路大震災での火災や高速道路崩壊は記憶に新しかったが、多くの日本人にとって2011年以前は津波をそれほど大きな脅威として認識していなかった。多くの人は阪神淡路大震災が自分の人生で最も大きな地震だと考えていたため、まさかたった16年後にあれほど大きな地震が起こるとは想像できなかったのだろう。阪神・淡路大震災と東日本大震災ではメカニズムが異なる。ある程度の世代の人は東日本大震災がその前後で人生を二分したと話している。教育は将来の震災において被害を軽減してくれるに違いないが、日本では実際に震災で家族や友人、知人を失った子どもたちに最大限の配慮をした教育が行われていると考える。ガイドさんは今日遺構で学んで家に持って帰ったことを周りの人と共有してほしいと繰り返した。そうすることはもし自分が災害に見舞われた時どうするべきか考えるきっかけになる。日本では防災教育が進んでいるが、オーストラリアではそのようなシステムがなく、避難経路なども把握しているか怪しい。オーストラリア政府はもっとそういった教育に力を入れるべきだろうか。

心理的観点についてもよく議論した。日本の地域自治体は災害後の住民のさまざまな心情を考慮しているようだ。例えば、人が住めなくなった場所をビジネス目的で利用したり、11年間の人々の心情の変化を記録する取り組みがなされている。日本とオーストラリアを単純比較することはできないが、オーストラリアは日本に比べ、森林火災や洪水、サイクロンといった自然災害の後の心理的配慮に欠けているように思われる。

また、校舎が東西方向に建てられているなど些細なことが大きな違いをもたらすのだと気づかされた。学校は相当に安全な避難場所であるが、校舎が古いことも多く、緊急時に自宅に留まることを選択する日本人も少なくない。一方で、日本の北部であっても台風の被害を考慮して設計された建物がどれだけあるのだろうかと思った。オーストラリアの学生は耐震構造のたてものでは揺れを感じないのではないかと疑問に感じていたが、日本の建物では柔構造であえて大きくゆっくり揺れるようにして倒壊を防ぐ工夫をしている建物もある。津波の直接の波だけではなく、引き波や、津波が川を遡流することによる氾濫などによって建物は一方向だけではなく多方向から損壊していたのは驚きだった。また、体育館が校舎を守ったように、ある建物が他の建物を守ったというのは興味深かった。もし盛り土がなかったら、もし津波がもう少し高かったら、もし学校が海岸にもう少し近かったら………など全員が生き残れたのは偶然が重なった結果に過ぎないのかもしれない。もしかしたら同じ状況でもほんの少しの偶然の差で多くの人が命を失った例もあるかもしれない。この1週間で災害に上限はないということを痛感し、その災害から身を守るにはどうするべきか、という疑問を持った。オーストラリアの学生は放射線の数値や福島の原発を見てとても驚いていた。住民にとって放射線の数値を実際に見ることは政府の安全宣言より信用できるのではないかと考えた。オーストラリアの学生が東日本大震災と聞いたとき一番初めに頭に浮かぶのが原発事故だというのは意外だった。というのも、原発事故の影響は目で見えないからこそ余計怖く感じてしまうのかもしれないし、また原子力発電そのものの論争を引き起こす性質によるものかもしれない。風評被害についてメディアの影響がどれほどあったのか、またその風評被害は復興の過程で地域経済にどのような影響があったのか知りたいと思った。

               

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