東京大学横山研究室

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国際研修 富士山 Diary

<99日>

9/9日の午前は震災時の避難行動のシミュレーションの研究をしている富士通の施設に行く予定でしたが、台風の影響により交通が麻痺していたので宿で待機しました。 今回の台風は予想よりも勢力が衰えなかったこと、この時期の台風にしては比較的ゆっくり 進んだことで被害が大きくなりました。千葉県千葉市では最大瞬間風速57.5mの観測史上最大記録を更新しました。また雨も静岡県天城山の1時間雨量109.0ミリをはじめ、各地域で観測1位を更新しました。 私たちが泊まった逗子松汀園も深夜に猛烈な風と雨に見舞われ、多くの人が暴風雨の音で眠れませんでした。朝起きると庭の木が倒れており、風の強さを物語っていました。 地震や津波について学んだ直後に台風に遭遇し、日本がいかに自然災害大国であるか、改めて実感させられた出来事でした。

強風により倒れた木         富士山科学研究所

午後になると道路の規制や混雑も緩和され、私たちは山梨県にある富士山科学研究所に移動しました。 そこで私たちは富士山の形成過程について学びました。富士山はもともと1つの山が成長してできたわけではなく、10万年前に小御岳山が、10万年前に古富士山が噴火し、約1万年前に新富士火山が噴火してそれまでの2つの山を飲み込み、およそ3200~4500年前に今の富士山の形ができたそうです。多くのANUの人は富士山は1つの山が成長してできたと思っていたため、この形成過程には大きな興味を示していました。 また1707年には富士山の中腹から大規模な噴火が起こり、大きな被害をもたらしました。 研究所ではそのとき降った火山灰の地層の断面を見ることができ、たった16日程度で1.5mも火山灰が降り積もったことが確認できました。このときの噴火でできた山が宝永山で、私たちが明日登りに行く山です。

<910日>

910日には宝永山に登りました。私たちが一番楽しみにしていたイベントの一つです。 富士宮口五合目(海抜2400m)までバスで向かい、そこから登り始めました。 登ってしばらくして見えてきたのは3000年前と1000年前の溶岩を観察することができるス ポットでした。右の赤っぽい岩の方が1000年前のもので、Feをより多く含んでいます。

3000年前の溶岩。色は白っぽい。 1000年前の溶岩。色は赤っぽい。 

私たちはさらに歩き、宝永山が見える場所まで行きました。宝永山は1707年に富士山中腹が噴火したことによりできたクレーターと、噴出物が降り積もってできた山です。

宝永山

私たちはここからさらに宝永山に登っていくことにしました。登っていく道は砂利が細かく、登山初心者には大変でしたが、みんなで頑張って登りました。宝永山の山頂は標高2693 mです。曇っていた為何も見えませんでしたが、天気が良ければ素晴らしい景色が見えたことでしょう。私たちは頂上でお弁当を食べました。

みんなで宝永山の山頂で

私たちが驚いたことの一つは、山頂にも多くの虫がいたことです。岩ばかりで植物もない環境で虫たちは何を食べているのでしょうか。

辛かった登りとは異なり、下りはスキー場のように急な砂利道を降りていくことを楽しみました。下っていく途中、フジアザミという植物を見かけました。溶岩ばかりの過酷な環境でたくましく花を咲かせていました。

フジアザミ

私たちは左の画像の赤いエリアにいた。気象庁のホームページからは現在いる場所の天候に関する各種警報をオンタイムで得ることができる。

帰りのバスに乗っている途中で私たちは大雨に見舞われ、土砂災害警戒情報のアラームがスマホからなりました。ANUの学生はもちろんのこと、日本に住んでいる学生もとても驚き ました。

<911日(午前)>

911日水曜日、朝食を終えた後、宿からバスで30分ほど離れた場所を訪れ、青木ヶ原溶岩が確認できる露頭についてレクチャーを受けました。過去に採石場として使用されていたため、露頭から様々な岩石学にまつわる情報を得ることができました。露頭にたどり着くと、まず目に入ったのは青黒い高さ三メートルほどの溶岩の断面を確認することができました。この溶岩は1200年ほど前に起きた青木ヶ原溶岩流によって形成されたものであると考えら れ、まずその量に驚きました。ガイドの内山さんによる最初の解説は、露頭に沿って点在する溶岩樹形のように見える竪穴についてのものでした。去年の巡検の際、これらの竪穴は溶岩樹形ではなく、湿地帯や川の上を溶岩流が流れた際に、水分が蒸発してできた水蒸気噴出孔であるという解説を受けました。確かによく観測すると、溶岩樹形には見られない亀裂や突起が竪穴内に大量に存在し、溶岩樹形ではないような印象を受けました。しかしながら、 今年の内山さんの解説によると、近年の研究の結果、水蒸気噴出孔ではない可能性が高いことがわかりました。まず、一次的な溶岩流が溶岩樹形を形成し、それが固まったのち、二次的な溶岩流が固まった第一次溶岩の隙間を押し広げながら移動し、まだ流動性のある第二次溶岩流が樹形穴に到達した際、圧力の低い方向へ流れていった結果、このような亀裂や突起を形成したそうです。近年の研究により過去の観測結果が覆ったことに衝撃を受けました。 さらに露頭を進むと、青木ヶ原溶岩と過去の土壌の境目を確認することができました。この土壌にはテフラ層が確認でき、過去の富士山の噴火の歴史を知ることもできました。そして、土壌近くの溶岩に注目すると、気泡が一方向に伸びていることも確認できました。この情報により青木ヶ原溶岩流の流れていた方向も確認することができました。

青木ヶ原溶岩流の跡

続いて私たちは西湖蝙蝠穴溶岩洞に移動し、引き続き内山さんによる解説を受けました。溶岩洞にたどり着くまでの道のりに、過去に形成された後、自重に耐え切れず崩壊した溶岩洞も確認することができました。 そして蝙蝠穴溶岩洞に到着した後、その中へと入っていきました。前日の雨や台風の影響で溶岩洞内では水滴が多く降り落ち、少し大変な思いをしました。 まず溶岩洞に入ると開けた空間がありました。これは過去に溶岩が流れた際、外側だけ冷えて固まり、流動性を保った中身がすべて流れ出て、空洞を作り上げました。さらに先に進 み、天井が非常に低い通路を抜けると、Ropy Pahoehoe という溶岩構造を確認することが できました。これは粘性が低く、流動性の高い溶岩が、なだらかな地面を移動する際に形成されます。そこではさらに壁沿いに見られる水平な溶岩の線から、合計三回溶岩の流入が あったことが確認できました。

洞窟内の様子           溶岩が流れて波状に固まった跡

その後、蝙蝠溶岩洞を離れ、精進湖の近くで昼食を食べ、バスで三時間ほど離れた静岡県浜松に移動しました。

               

Yokoyama Lab,
Atmosphere and Ocean Research Institute,
The University of Tokyo

5-1-5,Kashiwanoha,Kashiwa-shi,Chiba 277-8564 Japan

               

Phone: +81-80-7130-1438

   
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