東京大学横山研究室

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国際研修 三陸 Diary

大槌

9月4日水曜日、私たちははやぶさとバスを使って岩手県上閉伊郡大槌町を訪れました。はやぶさに乗るのはANUの方はもちろんのこと、私にとっても初めての体験で、その速さと 乗り心地の良さに驚きました。

(左)はやぶさ (右)盛岡で食べた盛岡冷麺

その日の夕方、私たちは大槌町でガイドをされている神谷さんに震災当時の出来事を伺いました。大槌町は、津波で大きな被害のあった場所です。当時の町長をはじめ、町民の10%の方が亡くなりました。それは、地震発生直後から避難した人が少なかったこと、避難場所までたどり着けなかった人が多かったためです。最初に津波警報が出されたとき、予想高さは3mであり、大槌町は6.4mの防波堤を有していることから、多くの人が避難せずにその場で待機したそうです。当時は東北の冬であり、外は非常に寒く、道路も凍っており危険な状態だったことや、地震は平日の昼過ぎに発生したので、大人たちは外で働いており、家にいたのはお年寄りと子供たちでした。これらの状況から、最初から避難した人が少なかったそうです。避難しようとした人も、避難場所である高台が急な丘であることや、登るための道も一本しかなく渋滞していたため、丘のふもとの寺にとどまった人が多かったそうです。 しかし実際には津波は高さ10mを超える規模で襲ってきたため、高台に逃げられなかった 多くの人が亡くなりました。神谷さんは、自分の命を守る行動の大切さだけでなく、行政が 町民に危険を呼びかける方法など、多くの課題を語ってくださいました。

(左)ガイドの神谷さん。奥の池の高さが震災当時の土地の高さ。
(右)避難場所だった丘とふもとの寺

彼らが大槌町に戻って来られた3年前から、新しい建物が建てられ始めました。また、東大の研究者らのシミュレーションに従い、土地全体を2-4m盛り土して、数百年に1回スケールの津波が到来しても被害を抑えられるような街づくりをしているそうです。 神谷さんの話を聞いた後、私たちは大槌町で実際に行われた議論についてワークショップを行いました。新たな防波堤の高さを上げるか否か、被災した建物を保存するか否かなどをグループごとに話し合い、方針を決めることの難しさを実感しました。

小川旅館にて夕食

国際沿岸研究センター(ICRC)

5日の午前は、岩手県大槌湾にある大気海洋研究所の国際沿岸研究センター(ICRC)を訪問しました。元の建物は2011年の東日本大震災による津波で大きく破損していたため、施設が高台に新設されました。研究所と地域全体に及ぶトピックについて、研究者からの興味深い講義を聞くことができました。

 
(左)新しい国際沿岸研究センター (右)ICRCのロゴマーク

最初の講義では、冷たい親潮と暖かい黒潮の混合の重要性が強調されました。親潮が南下すると、深海に閉じ込められていた栄養素が大槌の海岸に運ばれます。これらの栄養素は、プランクトンによって利用され、さらにそれらを餌とするサケやサンマ、他の海の生き物などを呼び込みます。

次の講義は、津波後の大槌湾の栄養と汚染の状況についてでした。下水の処理プラントとタンクが水の力によって破壊されたため、廃棄物の侵入により亜硝酸塩とリン酸塩のレベルが増加しました。これらは湾の水質に影響を与えるため、厳密に監視する必要があります。

3つ目の講義は、2011年の津波による旧研究センターの状況についてのものでした。旧センターの2階には海水が浸水しており、研究機器の多くは、津波による莫大な力のために洗い流されていました。特に、津波によって屋根の上にボートが乗った建物があったことに驚かされました。

4つ目の講義は、底生生態系の変化についてでした。深海ウニとアワビの個体数は、2011年の津波の後、特に内湾部で減少しました。津波が海岸に達すると一時的に海面が低下します。そのため、若いアワビや海岸に近い場所にいるアワビがより影響を受けてしまいます。地震の震源地に近い泊浜では、アワビの個体数が時間の経過とともに災害前の水準まで回復しました。この調査は、適切な漁業管理にとって重要でした。なぜなら、調査を行わなければ、漁業者はアワビの割合がわからないからです。

また、ICRCの実験施設を見学できました。カメは、GPS360度カメラ、磁力計、加速度計、温度計、塩分検出器、深度計を含むデータロガーを添付するために、ICRC1週間から1か月間飼育されます。この研究により、3次元空間でのカメの位置を非常に正確に測定できるだけでなく、特にプラスチック汚染に関して、カメを深海と水生生態系の健康状態を監視するための海洋プローブとして機能させることができます。データロガーは指定された時間が経過すると、カメから離れ、浮上します。

データロガーが取り付けられたカメ

全体として、研究所の研究の関心は津波の後に大きく変化しています。多くの研究者は、災害から生じた生態現象に焦点を移し、施設と環境の回復を追跡しています。

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館

5日の午後は気仙沼市に移動し、東日本大震災遺構・伝承館を巡りました。気仙沼市は東日本大震災により死者1152人、行方不明者214人と最大級の悲劇に見舞われた場所です。遺構・伝承館は津波の被害を受けた旧向洋高校の場所に、その悲惨な記憶と教訓を後世に伝え続けることを目的に建てられました。当時向洋高校は津波の深刻な被害を受けたにも関わらず、その職員、生徒の死傷者を出さなかったことで注目されました。まず私たちは地震後の津波で車や家、船などが流される映像や、逃げ惑う人々の映像を見、その惨さを改めて実感しました。次に語り部の方が旧校舎を案内してくれ、実際に人々が当時どのような行動をとって津波から逃れたのかを詳細に語ってくれました。震災当時、校舎に残った職員は南校舎の屋上に避難しました。津波は4階の校舎の膝の高さまで押し寄せ、私たちは浸水した跡を4階の部屋で確認することができました。南校舎の1~3階の部屋は完全に破壊され、流れてきた車がそのまま残っている部屋も存在しました。

 

(左)校舎の3階に押し寄せた車  (右)​​4階の浸水した跡

震災当時、学生は高校の入学試験のために午前授業でしたが、全校生徒220人中170人がクラブ活動などで学校に残っていたそうです。生徒たちは避難訓練に従い、先生に連れられて 近くの寺社に逃げましたが、そこでも安全ではないと判断し、さらに高台に逃げました。この判断が結果的に生徒たちの命を救うことになります。 一方で高校の前に広がる地区の人々は、行政と市民が共同で安全と判断した海辺の高台に避 難しましたが、津波はその高台をも飲み込み、多くの尊い命が失われてしまいました。

 

南校舎からの景色。不幸にもこの正面右の地区に住んでいた、安全と言われていた高台に逃げた多くの人々が亡くなった。

この教訓から、私たちは自分たちの避難場所が本当に安全な場所なのか再確認すること、危険と判断すれば先入観にとらわれずにすぐに行動を起こすことの大切さを学びました。最後に私たちは、震災で大切な人を失った人たちのその後のビデオを見ました。そこには、大切な人を亡くし、大きな悲しみを味わい辛い境遇にいながらも、なんとか生きていこうと前を向く人たちの姿があり、私たちは強く胸を打たれました。 自然災害に対してどう対策をとるのか、起きた時にどう行動するのか、大切な人を失なっても強く生きようとする人々を支えているものは何なのか、私たちはこの伝承館を通して多くのことを考えさせられました。

(太田、三木、森井)

Yokoyama Lab,
Atomosphere and Ocean Research Institude,
the University of Tokyo

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